D.C.P.C. 美春ルートED後。 ※倒れていたときに文章リハビリのためにベッドの中で書いていたものなので、推敲や設定すり合わせ、描写、口調統一は甘いです。オチも甘いです。雑賀匠先生の小説や、D.C.W.S.、D.C.S.V.、D.C.F.S.の追加設定等は考慮しておりません……。 典型的な蛇足文章だな、とあとでしみじみ思いました。 /森野一角 4月10日 「先輩、朝倉先輩〜!」  懐かしい声。  懐かしい声が、背後から聞こえてくる。  同じ声だが、別の声だ。 (やっぱり、吹っ切れてないんだな……)  当たり前のことに気づくが、彼女にそんな顔は見せられない。  俺は顔をパンパンと叩き、笑顔を作って振り向く。  そこには天枷美春が立っていた。  栗色の髪は光の粒子をたたえて輝き、白い制服と共にまぶしいぐらいの輝きを放っている。そして、つるんとした丸みを帯びた顔には、いつもの人なつっこい笑みが浮かんでいた。  その顔が記憶していたものよりも愛らしく見えたのは、黄緑色に栄える新芽から溢れるような、みずみずしい生命力のせいかもしれなかった。 「どうしたんですか? 朝倉先輩」 「いや、なんでもない。元気そうで何よりだな」 「はい、美春は元気です!」  にっこりと笑う美春を、彼女の友達が不思議そうに見つめている。  美春がずっと入院していたのを知っているのは、俺と暦先生と美春本人、そして数人の教師だけだ。  そう、ロボットの『美春』が身代わりをしていたことは、全て秘密なのだ。  ロボットの『美春』が消え、美春が戻ってきた。  全てが元に戻った。  全て、正常に戻った。  それなのに、何か釈然としない。  俺はもやもやした気持ちを空気で薄めるように、大きく深呼吸した。 「よっしゃ、今日は復帰祝いに俺がおごってやる」 「わ! わ! マジですか!? やったァ!」  俺は、意識を取り戻した美春と共に桜公園へと向かった。  目当てはチョコバナナ屋。 ……『美春』と毎日のように通った、あの店に。 ■ ■ 「朝倉先輩、遅いですよ〜!」 「お前が早すぎるんだろ。病み上がりのくせに無理すんな」 「無理なんかしてないですよ〜!」  チョコバナナ屋の前で腕を振り回す美春を眺め、俺は肩をすくめる。  同時にスタートしたはずなのに、美春はとっくに店の前にいた。 「もう、美春の血液中のバナナ濃度は危険レベルをまで低下してます〜。そっちのほうが危険すぎです〜!」 「お、お前なぁ……」 「だってバナナですよ!? 人類の叡智! 神が与えた甘露! 栄養満点! 味は最高! 久しぶりで、もう待ちきれないんですよぅ!」  壊れたオモチャのように、美春は同じ所をくるくると回り始める。  俺は美春から視線をそらし、店員にチョコバナナを注文した。 (……思い出さない方が変だよな)  はしゃぐ美春を見ていると、今はいない『美春』を思い出してしまう。  あの日、暦先生の準備室で遠いところに行ってしまった『美春』のことを。 ……やっぱり、少し辛い。  無意識のうちに、お釣りを受け取った手で胸を押さえていた。 「先輩、どうかしたんですか?」  気が付くと、美春が俺の目の前でチョコバナナを上下に振っていた。 「そんなに金欠だったんですか? それなら無理におごってくれなくても……」 「違う、なんでもない」  精一杯自然に振る舞おうと、周囲を見回す。 「……そうだ美春。今日も天気がいいし、高台で食べるか」  そこも『美春』との思い出が溢れているが、避けていてはどこにもいけない。  覚悟を決めた俺の手を、美春が掴んだ。 「あの、美春、そこよりも食べたいところがあるんですけど、いいですか?」 「どこだよ。遠いところはかったるいぞ」 「えへへ〜。朝倉先輩のかったるいも久しぶりです」 「そんなんで喜ぶな。で、どこで食べたいんだ?」 「……えーと、それはですね」  一瞬、変な沈黙があたりに充満した。 「あの桜の木の下で食べたいです」 「あの桜? まあ、いいけどさ」  美春がいう桜がどの木のことなのか、俺にはすぐにわかった。  この桜の中で一番大きな桜の木。秘密基地。  『美春』をつれていったあの桜の木。  小さい頃に美春とタイムカプセルを根元に埋め、『美春』と掘り起こしたあの桜の木。  『美春』と結ばれた、あの場所だ。 「……かったるいな」  返事を待たずに走り出した美春の背中にそう言い放ち、後を追う。 ……嬉しそうに走る美春の姿が、記憶の中の『美春』とダブって見えた。    ■ ■    ざざんと風が吹き、桜を見上げていた美春の全身を覆うように花びらが降り注ぐ。  吹雪いている。そう表現するのが相応しい光景だった。 「うわー、相変わらず凄いですねぇ」  舞い落ちる花びらからチョコバナナを守るように、美春は桜の幹に背を預ける。  自然と、美春と俺は向き合う形になった。  同じ顔、同じ声。でも違う美春と視線が交わる。  俺は慌てて視線をそらした。 「……先輩、覚えてます? この桜の木のこと」  もちろん忘れはしない。  だが、思い出を口にするには、まだ辛い。  俺はわざとらしく首を傾げてみせた。 「……何だっけか」 「あー、朝倉先輩、ひどいですよぅ。美春と先輩のたいたい大〜切な思い出を生めた木じゃないですかぁ」  振り向いた美春は勢いよくほおを膨らませ、……そして息を吐き出し、うつむいた。 「なんだよ、その態度は」  代わりに俺に答えるように、再びざざんと風が吹く。  むせるような桜の匂いが肺に充満する。  ほんのわずかな時間なのに、何分も過ぎたような居心地の悪さ。  それは静かな美春の視線を浴びていたからかもしれない。 「……朝倉先輩。ここ、美春さんと来たんですよね」  美春が、彼女のことを『美春さん』と呼んだ。  自分をモデルにロボットが作られていたことも、入院していた間そのロボットが身代わりになっていたことも美春は知っている。暦先生からそう聞いた。  それでも、美春の口から『美春』のことを聞くのは、違和感があった。 「ああ、そうだ。でも、どうしてそれを知ってるんだ?」  『美春』のメモリーは、全てロストしたはずだ。  それとも、実はどこかにバックアップがあるのか……?  淡い期待を持って、答えを待った。 「実はですね、日記に書いてあったんですよ」  美春は俺の期待を、いとも簡単に打ち砕いた。 「美春が起きたときに困らないようにって、美春さんが日記を書いてくれていたんです」  日記、か。 「本当に細かく書いてくれてありました。どんなことがあったとか、どんな話をしたとか。だから美春、とても助かりました」 「……そうか。あいつらしいな」  どんな内容が書かれてるのか、読んで見たい。 『美春』が何を見て、どう感じたのか……いや、俺をどう見ていたのか知りたい。  そんな欲求を、拳を握って必死にこらえる。  美春はそんな俺ではなく、足下を見つめていた。 「……でも、もう何も埋まっていないんですよね」  ゆっくりと俺に背を向け、美春はほんの少し靴の先で土を掘った。 「…………」  ……言葉が出ない。  美春は知っている。  何かが埋まっていたことを。  そしてもう、何も埋まっていないことを。 「悪い。掘り出しちまったよ」  なんとか、そんな言葉をひねり出す。 「知ってますよ。本当は美春が先輩と一緒に掘り出したかったんですけど、いいんです」  美春は胸元に手を当てた。  彼女が何をしているのかは見えないが、俺には分かる。  彼女が触れているのは、タイムカプセルの中にしまっていたオルゴールを鳴らすための、ゼンマイのねじ巻き。  美春がずっと大切に胸に下げていた、真鍮で出来たねじ巻き。  俺にとっては、『美春』を元気にさせるためのゼンマイのねじ巻き。  見るまでもない。チャリリと響く冷たい音が、俺の想像を肯定する。 「ほんと、悪い。……でも、意外だな。そのことも日記に書いてあったのか」  もしかしたら、その後の出来事も書いてあるのかも知れない。  心臓がバクバクと悲鳴をあげ始める。  俺は平静なふりをして、美春の言葉を待った。 「……いいえ」  美春は小さく首を左右に振った。  ……ほっとした。 「じゃあ、暦先生か。俺から話すって言ってたんだけどな」  ふるふると首を振り、美春はゆっくりと振り向いた。 「……朝倉先輩。木から落ちていく時、美春が何のことを考えていたかわかりますか?」 「バナナだろ?」  俺の即答に、ずるりと美春の身体が滑った。 「ち、違いますよぅ。そりゃ確かに、ほんの少しは脳裏をかすめましたけど……」 「……かすめたのかよ。ま、美春だもんな」 「あー、だからほんのちょっとだけって言ったじゃないですかぁ!」  美春は抗議のために振り上げた拳を、ゆっくりと降ろした。 「……美春の脳裏に浮かんだのは、朝倉先輩でした」  俺はバナナの次か。そう茶化そうとしたが、美春の雰囲気が許してくれなかった。 「美春は、先輩に会えなくなるのがイヤでした。意識が途切れるまで、ずっと先輩のことを考えてました……」 「…………」  見たことのない真剣で悲しげな表情に、俺は息を飲んだ。 「変な話ですよね。ずっと前に諦めたはずなのに」 「諦めた……って?」 「決まってるじゃないですか。朝倉先輩のことを……お兄ちゃんのことをですよ」  美春は、オルゴールの中に仕舞われていたメモに書かれていた呼び方で俺を呼んだ。 「そういやお前、俺のことをお兄ちゃんって呼んでたんだよな。それが先輩に変わったのは、そういうことなのか?」 「はい、そうです。だって、美春がお兄ちゃんって呼んじゃいけないじゃないですか。朝倉先輩は音夢先輩だけのお兄ちゃんなんですから……」  拳でねじ巻きをきゅっと握りしめ、美春は小さく首を振った。 「……美春が取っちゃいけないじゃないですか。音夢先輩にとって、朝倉先輩が全てだったんですから」 「…………」  思わぬ告白に、言葉を挟めない。  美春は小さく首を振り、言葉を続けた。 「意識が途切れた後、美春は真っ暗な世界にいました。暗闇の中で、ずっと朝倉先輩を捜してました。美春が夢を見たのは、そんなときでした」 「……夢?」 「はい、そうです」  チャリリと、握りしめられたねじ巻きが音を立てる。 「見た瞬間、夢だって思いました。だってそうじゃないですか。……あんな笑顔で美春を呼ぶ先輩なんて、今まで見たことなんてなかったですから」  寂しげな美春の笑顔は、泣いているように見えて、痛々しかった。 「夢の中の美春は、先輩と一緒に一生懸命何かを探してました。美春はその夢の続きを見るのが楽しみでした。でも、だんだん分かってきたんです。その美春が誰なのか」 「……誰なのかって、美春は美春じゃないか。それに夢は夢だろ?」 「違いますよ。美春には分かったんです。……先輩が笑顔で話しかけていたのは、ロボットの美春さんだって」 「ロボットの、美春?」  思わず声がうわずる。  失ったあの日の痛みが、俺の胸に蘇ってくる。 「そうです。お父さんが美春をモデルに作ったロボットの美春です。美春は、美春になろうって頑張ったりしないですから」 「…………」  そんなはずはない。  それはただの夢だ。  そう言いたいのに、言葉が出ない。 「そう思った時に美春は感じたんです。これは夢じゃないんだって。だって、ロボットの美春さんに先輩が惹かれるような夢、美春が見るわけないじゃないですか」  美春は頬に触れる髪を指で追い払った。 「最初は、先輩を取られちゃうんじゃないかって不安でした。でも、彼女の姿を見ていて分かったんです。美春さんがどれだけ一生懸命なのか。朝倉先輩やにゃむ……音夢先輩のために、さっちんや洋子や裕理ちゃんや友達みんなのために、一生懸命美春になろうとしてたんだって」 「…………」  たった一つの単語が、美春の言葉全てを俺に肯定させた。  にゃむ先輩。  音夢をこう呼んだのは世界に一人だけ。『美春』だけだ。  俺は黙って、美春に続きを即した。 「美春さんは、思い出を探していました。それが美春さんの身体にどれだけ負担になっているのかも分かりました。美春は『美春さん』にやめてって何度も言いましたけど、声は届きませんでした……」 「仕方ないさ。というか、届いても無理。俺が言っても聞かなかったんだから」 「知ってます。美春、見てましたから。夢は飛び飛びでしたから、全部見たわけじゃないですけど」 「……そっか。見てたのか」  普通考えればあり得ない話なのに、俺は素直に美春の言葉を受け入れた。  他人の夢を見られる俺が、他人の現実を夢として見ることを『あり得ない』と否定出来るはずがない。 「自分のためよりも、みんなのために。自分のことよりも、みんなのことを。あいつは本当にお前によく似てたよ、美春」 「違いますよ。美春さんはすごいんです! 美春さんがすごいんです! 本当にすごいんです」  まるで自分のことのように美春は胸を張り、足下の土をかかとで掘った。 「そんな美春さんだったから、とっておきの思い出を伝えたくなったんです」  桜の枝の間をくぐり抜けた日差しが、胸元のねじ巻きをキラリと輝かせた。  そのねじ巻きで音を奏でるオルゴールの中にあったメモが何か、俺は知っている。  そして、そのねじ巻きをずっと大切に持ち続けた美春の気持ちが、メモから伝わる気持ちと変わっていないことも。  美春の気持ちが胸でくすぶり、ちりちり痛む。  俺は打ち上げられた魚のように口をパクパクさせ、なんとか空気を肺に送り込んだ。 「その……良かったのか? 本当に……」 「だって、仕方ないじゃないですか。美春さんのほうがふさわしいって、美春が思っちゃったんですから」  後悔と満足。相反する二つの感情の色が美春の瞳に浮かぶ。  俺は「ありがとう」と言いいかけ、慌てて口を閉じた。 「でも、どうやって伝えたんだ? さっき、声は届かなかったって?」 「美春にもわかりません。ただ……桜の花びらが吹雪みたいに吹いている夢の中で、こう聞かれた気がします。『本当にそれでいいのかい』って」 「誰に?」 「そんなの分かりませんよ。でも、聞き覚えがある声だったような気がします。おばあちゃんぽい声でした」 「…………」  おばあちゃんぽい声の持ち主。  俺の脳裏に、あの人の顔が浮かんだ。  美春の言葉が本当なら、そんな真似が出来る人間は一人しか思いつかない。  かったるいことが嫌いで、でも人の世話が好きで、人が好きで、わがままで、優しい人。  うちの隣に住んでいた、歳を取った魔女。  今はもういない、俺の祖母。 「そっか」  俺は桜の木の幹を見つめた。  きっと、祖母がかけた桜の木の魔法が、二人を繋いだんだ。  心から叶えたいと真摯に願った望みを叶える魔法が、記憶が欲しい『美春』と思い出を伝えたい美春を繋いだ。  他の人を自分より大切に思える二人だからこそ起こった、小さな奇跡。  俺は空を見上げた。 (ありがと、ばあちゃん。よかったな、『美春』)  あいつが夢に見た『思い出』は、あいつの中に埋もれていたわけではなかった。  でも、それ以上に、素敵な思い出じゃないか。  美春から『美春』への贈り物。  あれは、俺と美春と『美春』の思い出。 「最初で最後でしたけど、伝わって良かったです」  最後の最後で奇跡が起こった。  俺はその言葉に感激したが、すぐに何かが引っかかった。  最初で最後では、つじつまが合わない。  『美春』が語った想い出は、それだけじゃない。 「ちょっとまて、美春。子供の頃に俺と音夢とお前で遊んだ記憶、あれも教えただろ?」 「何のことですか?」 「ほら、『美春』が埋もれている記憶を探すきっかけになった、アレだよ」  それは、美春が思い出探しを始めるきっかけになった夢の内容だった。 「教えてないですよ」 「……本当に教えてないのか?」  俺の言葉を聞き、美春は不思議そうに首を傾げた。 「先輩、さっき言ったじゃないですか。声は届かなかったって」  ……じゃあ、あれは一体?  いや、解明はいい。どうせ答えはもう分からない。  俺は自分が一番信じたい答えを信じることにした。  あれは『美春』の心の中に眠っていた思い出だったのだ、と。 「ま、それはいいや」 「……?」  美春は曲げた首を元に戻し、大きく息を吐いた。 「でも、変な話ですよね。美春さんは美春になりたかった。でも、美春は美春さんになりたかったんですよ」 「美春があいつに?」 「そうです。あんな風に先輩に笑ってもらえる美春さんになりたかったんです。見ていて、ずっとうらやましかったんですから」  美春は背を桜の幹に預ける。  ざざんと吹いた風が舞い散らした桜の花びらが、美春のほおを滑って落ちる。 「でも、美春は美春ですから。誰の代わりにもなれませんし、なりません」  彼女は小さく首を振り、髪につもった花びらを払った。 「……朝倉先輩、帰りましょうか」 「あ、ああ」  美春に導かれるように、俺は公園を後にする。  そしてつい、いつものようにバス停へと美春を送っていた。 「やっぱり、美春さんは強敵ですね」  美春は何故か、嬉しそうに笑う。 「でもでも、美春は負けません! ここでまけたらバナナが廃ります! 覚悟しておいてくださいね、朝倉先輩! 美春は美春として勝負しますから!」 「……お、おう」  意味は分からないが、意気込みは分かる。  だから、曖昧な答えしか返せない。  バスが到着すると、美春は大きく背を伸ばして乗り込んだ。  そしてバスの窓を開け、俺を見つめる。 「それじゃ、明日から教室まで迎えに行きますから! 先に帰らないでくださいよ?」 「……お、お、おう」  周囲の生徒がクスクス笑うが、構わず手を振った。  美春を乗せたバスが見えなくなるまで見送り、俺はきびすを返した。  あいつが俺を好きになってくれても、自分が美春を好きになるかは分からない。  美春は『美春』ではない。逆でもない。  分かっているのに、引っかかっている。  何も吹っ切れていない。  自分の未熟さに腹が立つ。  でも、自分に腹を立てることしか出来ない。 「……かったりぃ」  負け惜しみのようにつぶやき、俺は桜が吹雪く公園を歩きだした。 ……美春の純粋な気持ちを浴び続け、岩のように強固だったわだかまりが夏までに溶かされることを、このときの俺は想像もしていなかった。 (終わり)